TORABARA きさらぎ2日

出社。

帰宅時間に、日本史資料集を本屋さんへ見に行く。受験生かとおぼしき男のコが棚の前に立っているところに、腕を伸ばして、ほいっ。と決めた。おっと、受験する同士なのか?みたいな同調した空気感が漂う。同好会化されれば、しゅみのひとつに加わる。のかも。

近世、江戸時代を、頭に入れてゆこうとしている。中間テストの範囲、50ページくらいだったか、90点以上を目指すぜ。という意気込みです。

鞄がグッと重たくなって、軽いものから買い周りしたらよかった。とにかく次は、口紅を選ぶ。憧れの海外ブランドを試して、似合わなかったからざんねん。この売り場に、わたしのお気に入りのセールスおねえさんがいらっしゃって通っている場所で、今日は不在だわ。「知らない」という色の名前してる一本を選ぶ。

天井のスピーカーから、先日観た映画の劇中音楽がかかり始めた。のりのりだわ。ズートピアっっ

チーズ売り場にて、2種類選ぶ。

こののち、交通系カードがみあたらない。お財布のポケットに入れてるやつを、カイシャで裸で取り出して、自販機で使ったっけ?ないない。と、ぐるりとビルを回り、照明が明るいベンチに座った。ひとつひとつ、カバンから物品を取り出しつつかくにんしてて、ふわっとカバン内の宙空にカードがありましたとさ。

昨日も同じようにカバンをひっくり返すさわぎだったのにまたかよっ、というシーン。ちゃんと所定の場所であるお財布のポケットに入れることよ、いつもよ。

帰宅してシチュー食べて寝た。

TORABARA きさらぎ1日

縄文の湯、というのがあるらしくって、しらべてた場所へ行き、とてもよい温泉に浸かりました。移動して横浜デパート。輪島塗の展覧会を、見た。日本の職人さん、への尊敬のまなざしがわたしにある。黒塗りのお膳セット、納品されたときの箱ごと展示がされてあり、なぜかなみだぐむ。すてきすぎる。技巧と、伝統。今日わざわざ足を運び見て良かった。

一昨年の正月に被災があり、輪島塗文化の安否に、こころを馳せていた。輪島塗師養成所の、作品は、大きな四角い箱に入って乾かしているところで無事だったらしい。その写真を目で確かめた。せめてもの救いで、ほっとする。

ところで風呂出て、下駄箱用の木札がどこかいっちゃってて、さがしまくったのは何なのか。こういうのはわかるようにしておかねば、と思っていたはずなのに。玄関そばの木の床にへたり込む。ひとつひとつ、カバンの中味を点検した。

結果は、つまり同じくらいの四角で木でできた櫛を、ポーチに入れて使ってるのだけど、このポーチに、靴箱木札を仕舞い込んでいましたとさ。ずっこけるわ。

TORABARA むつき31日

冬晴れの空の陽気。

お化粧をしている時、薄い肌にシミがういたところが太陽の加減で浮かびあがり、それが店頭だとかの人前に晒されて、年令を気の毒がられるのよね、肌色のクリーム塗っても、なんにも隠せない。とか思ってて、影は、なんて簡単に、さっきまでの化粧のゆううつが、無かったことになって、このギャップは、感激だった。

神社さんへ行くと、今日も、明けましておめでとう、とアナウンスが流れている。混んでる道ではない、木々を仰ぎ見ながら歩く道を、歩き初めをして、原宿駅にてアーモンドキャラメルを買う。

飛行機に乗る時に使う駅。の改札外を、歩いてみよっと。再開発が進み、ベイエリアの、海風が爽やかな一帯になっていて驚いた。広々とした道。

自習スペースみたいな、秘密基地みたいなビルが建っていてすでにすっかり馴染んでいた。ちょうどよい量のお食事ができるのは嬉しい。けんちん汁と、おにぎりをランチにした。

美術館の時間予約していて、ゆりかもめに乗る。ひと駅。そしてさ迷う。ビルが林立していて、ややこしい地帯だった。地階なのか地上なのか。2階みたいな高さが地面だよね、汐留、わけわからん。民藝展は、ちょっとよかった。

上野博物館へ移動。アジアの仏像さんを見学した。

お美しい。頭の螺髪は、でっぱりをなくす方向へ進み、衣服の造形は、がっちりした旧様式を残す。美術的に過渡期にあるお姿らしい。
この方の、向かって右目が、開眼されて目が合うよね。

近所老人と浅草で蕎麦。わたしは熱燗。コーヒー屋さんで銘々がケーキを注文。なんとか未来へつながるように。

外国や、店開店へ、向かいましょう。

TORABARA むつき30日

10日も前に指していた株が、ほんとうにその高値が叶い、昼過ぎに決算された。能力すごくない?わたしの、透視するチカラというか、欲を世間にすりあわせて、まかり通ったってこと。

万歳。夜、ピザを注文して振る舞う。というのならよかったのだが家のひとが品目指定して、夕ご飯を決めてきたため、びみょうだった。

家のひとは、もう6年間も投資画面ばかり見て、利益をなんじゅうまんもうしなっていて、しんじられない。自分が高度なことと向き合っている、みたいな自負で、ご自身を支えているらしいけれども、どうかしているとおもう。

パートナーになるときに、一年のうち、何ヶ月か、海外で暮らす生活を思い描いたはずだが、劣悪な職場環境の、自分に目をかけてくれる上司コバヤシサンに囚われているというか、その人が自分を庇ってくれているお返しで忠誠を尽くすらしい。結局、長時間居る職場での承認が有る無し、が生活全体を覆う。みたいな生態をしているパートナー。

こんな阿呆だと思わなかった。

最寄りのスーパーへしか行かない。ひきこもりかとおもいきや、せっせとバスに乗り、自分の母親の元に通う。以上。

常に普通かどおか、に照らしている。この人の生い立ちで、一体、何があって、この人の脳は硬化したやら。わたしは、他人に、なればいい、早いとこ、おさらばしたい。という気持ちが、日に日に、強い。

TORABARA むつき29にち

しごと終わってから、外出をする。一番近くのスーパーマーケットへ、ペットボトルのカラと、プラスチックを回収ボックスへ入れなければ、という用事。いちごと、スパゲティ、オリーブオイルも買って、

家帰って、料理開始。大葉、ニンニク、唐辛子、をからめるやつ。旨い。

風呂のお湯入れてたら溢れて、久しぶりに、ザブーンっと洪水になりながら入った。大名気分。風呂フタの上で毛糸編むのは、やめとく。

今日は、からだの具合が良いとは呼べないというか、時間ごとに、血行の働き方が違うことを、感じられた。活動する、静養する、というのに、相応しい時間帯というのがある。という説を思い出している。

養老孟司先生は、人の脳の構造は自分自身を感じるようには出来ていない。と著書の中でおっしゃっていて、ここでいう、自分の身体を感じられない、云々は、他者を観察することと比較して。という意味なのだが、

日記などというのは常に自分自身の、からだ、私がどう感じてどのような意味付けをしているかの吐露であるため、へ?じぶんのからだが感じられていないのか、わたくしの脳は?というクエスチョンが、読後からつきまとっている。

他者に照らす自分、の階層が上位な学者さんの戯言、と、養老さんを断定する。自分を自分が感じる、という自分軸で、生き直して以来、現にわたくしは、みちがえるほどの健康を手に入れた。だるさの根元を、かんじてみることは、それこそ「知」だと位置付ける。

からだは、時間とともに変化してゆく。体の各所がまんべんなく、運転してゆくその軸が、うつろってゆく。その、察知する機能が、体の各所を巡る。というカンカク。それで、その矛先が、時に異和感をおぼえる。膝、とか、歯とか。顔の肌、ほうれい線、かかと。どこかしこ、運転軸移行をやり過ごせば、その柔らいだ調子で、体はコンディションを保つ。

そういう印象です。

TORABARA むつき28日

出社して、その帰り道に、日本橋。で、映画を観た。うっとりする。

こんなすてきな時間があることに、早く気が付けばよかった。これから、寄り道は、ここに来よう。

観た演目が、良かった。泣いて笑った。泣いたとき、白いレースのハンカチが、ぐしゃぐしゃになった。

人生は夢のようなもの。老いてしまったから、目だけで外界を見ている。それでもいっか、踊ろう。みたいな感想。

うさぎときつねの絵が付いてるグッズを、買いかけて佇む。熱狂が、つづくか、明日考えましょ。地下鉄に乗るのに、美しいライトが黄色く灯る、街の中を歩きたくなってた。人がまばら。メリーゴーランドもあったっけ、わたしは、しごとで、何度も近辺を歩いてるエリア。懐かしくもある。

姫。

みたいに、おもえてきている。ここにも、ごえんでつながっていられた。どうやったら、さずかれるかわからないことと、めぐりあわせていただくことは、きせき。

TORABARA むつき27日

家のひとが、負けるとわかっていて、画面にはりついて、取引をしている。その取引額があまりにもささやかで、なぜ、300円に、何時間も囚われて振り回されているやら、私には判らない。それを、そのまま、口にしていた。

「私は文章が書けない」とタイプライターで打ち続ける、雪に閉じ込められたロッジ、なんとしても書かねばならない、という強迫を自分に課して狂う男。家のひとの状態は、ほとんど、スタンリーキューブリックの映画だ。

キャアアアー。と叫ぶ奥さんみたいな心境が、わたしにある。なにかしなければ、なんとかしなければ。

と、厚紙を切り始めた。この厚紙工作は、暮らしの筋を整えるための、ぱっ。と料理するときのレシピを、書いておくとか、手作りカレンダーにするのもいい。四角い厚紙の束ができて、これはこれで、なにげにホラーな感じもした。

布団入って寝ました。

TORABARA むつき26日

今日は、しごと終わった後に、電車に乗り出かけること。と、唱えていたとおもうけど、いざ、その時間になると、まったり。家にいて、このまま過ごすことにした。

半身浴のとき、いつもより多めに毛糸編みをした。

昔、片想いしていたひとのことを、ここのところ、毎日ありありと思い出していて、どのようにおもわせぶりだったか。けっこう大人数でバスに乗る機会があったときに、わたしの目の前にいて、ちょっと持ってて。と、ポーチ丸ごと、しばらく預けてきた。こっちは心臓が飛び出しそうなくらい、どきどきしているのに。

なんだったの、その束の間を、何度もなぞって、わたしをどうおもっているの。というおもいに、覆われていて、果てしなく、茫漠の海に放りだされている。音楽が沁みるかんじ。ああいうのは、恋なのか、ね。

現在の姿を、見たいのか、言葉を交わすのだろうか。町を歩いて、偶然会ったりしたいか。そのひとと、なにもみのらなかったのだ、生活には合わない。わたしの脳内にあるそのひとは、もう、どこにもいない。とおもう。